目次
はじめに
食事摂取基準の位置づけ
「日本人の食事摂取基準(Dietary Reference Intakes for Japanese)」は、健康増進法第16条の2に基づき、厚生労働大臣が定める科学的指針です。5年ごとに改定され、2025年版は令和7(2025)年度から令和11(2029)年度までの活用を想定しています。
活用対象は「健康な個人および集団」であり、医療現場での疾患治療そのものを目的とするものではありません。疾患を抱えた患者を対象とした栄養管理及び栄養指導には、高血圧管理・治療ガイドラインや糖尿病診療ガイドライン等のそれを目的とした媒体を活用する必要があります。しかし、保健指導・特定健診・給食管理・地域栄養施策など多様な場面における“基盤指標”として必須の位置づけです。
1.改定の背景
高齢社会と最新エビデンス
今回の改定では以下の社会的要請・科学的知見が強く影響しています。
- 超高齢社会への対応
→ フレイル・サルコペニア・骨粗鬆症が生活の質を大きく左右する課題に。 - 疾病構造の変化
→ 感染症だけでなく生活習慣病・生活機能低下の予防にシフト。 - エビデンスの蓄積
→ 疫学研究やバイオマーカーによる評価が進み、食物繊維・ビタミンDなどで改定根拠が強化。 - 政策との連動
→ 健康日本21(第三次)、特定健診・特定保健指導、介護予防政策と整合。
高齢化の進展と糖尿病等有病者の増加により、健康寿命の延伸が重要視される様になりました。具体的には健康の保持・増進、生活習慣の改善、生活習慣病の発症予防、生活習慣病の重症化予防、生活機能の維持・増進が課題として設定されています。
科学的根拠の不十分な重要な課題を対象に実践・研究を推進し、科学的根拠の集積及び整理を行う事で最新のエビデンスを反映した内容となっています。活用する際には、各種診療ガイドラインの改訂と照らし合わせる事も必要です。
食事摂取基準は国民の栄養管理評価・栄養管理の標準化と質の向上のために、管理栄養士と医療従事者による有効活用が望まれています。
更に、今回の改訂は令和6〜17年度の健康日本21(第三次)の推進との連動も視野に入れています。健康日本21の目的は主な生活習慣病であるがん、循環器病、糖尿病、COPDの発症予防と、重症化予防の徹底と心身の生活機能の維持・向上、社会環境の質の向上です。
2.全体構成と指標体系

報告書は「総論」「各論」から成り、各論はさらに
- エネルギー・栄養素(基本事項・指定設定の基本的な考え方・健康の保持・増進)
- 対象特性(妊婦・授乳婦・高齢者等)
- 疾患との関連(生活習慣病・生活機能維持)
の3部に整理されています。
指標は次の3目的に対応します。
- 不足防止(必要量を決めるために考慮すべき事項・推定平均必要量・推奨量など)
- 過剰防止(摂取源となる食品・食事からの摂取・サプリメント等からの摂取・耐容上限量の策定方法)
- 生活習慣病/生活機能低下予防(生活習慣病のと関連・目標量の策定方法)
更に、生活習慣病の重症化予防・活用に当たっての類似項・今後の課題についても記載されています。2025年版では、とくに「③生活機能維持」の視点が前面化している点が重要です。この項目では本節の目的と活用時の留意点についても言及されています。
3.主な改定ポイント

1. 骨粗鬆症を対象疾患に追加
- 生活機能の維持を目的に、骨粗鬆症が新規に対象疾患に。
- 高血圧・糖尿病・脂質異常症・慢性腎臓病(CKD)と共に骨粗鬆症が生活習慣病及び生活機能の維持・向上に関わる疾患として取り扱われている。
- 骨量減少予防の観点から、カルシウム・ビタミンD・タンパク質・適正エネルギーの摂取指針が強調。
2. 鉄(Fe)の耐容上限量を削除
- 2020年版に存在したUL(Upper Limit)は削除。
- 以前の食事摂取基準ではバンツー鉄沈着症に基づき耐用上限量を設定されていたが、この疾患は遺伝子異常がない者は鉄の摂取量との関連が不明である。
- かつてのアメリカ・カナダの食事摂取基準は胃腸症状を鉄の過剰摂取による症状としたが、欧州食品安全機構のガイドラインはこれを不適切とした。
- 以上の事から過剰リスク評価が困難であるため。
- 実務的には鉄補充療法やサプリメント利用時のリスク管理がより重要に。
3. 食物繊維の目標量見直し
- 成人男性30〜49歳:22g/日(旧版より増加)。
- 1日当たり25〜29g摂取すると複数の生活習慣病リスクを低下させる事が報告されているが、食物繊維量と生活習慣病リスクの間に明確な数値はしない。
- WHOのガイドラインと日本人の摂取量との中間を参考に目標値が設定された。
- 測定法の違い(七訂・八訂)に留意し、食品成分表との整合を意識。
4. ビタミンDの目安量引き上げ
- 成人(18歳以上男女):8.5 → 9.0 μg/日。
- 骨代謝および免疫調節作用を考慮。
- 紫外線曝露による皮膚でのビタミンD合成も加味した北欧の基準を参照にして設定された。
- 成人・高齢者・妊婦・授乳婦は同じ量を適用されている。
- 小児は体重×0.75乗と成長因子を用いて外挿して算定、乳児はくる病防止の観点から算定された。
- 目標量と生活習慣病の重症化予防のための量は十分なエビデンスがないため見送りとなった。
5. 妊婦・授乳婦・乳幼児の見直し
- 成長期・妊娠期に必要な鉄・葉酸・ビタミンD・タンパク質量の再評価。
- 母子保健ガイドラインとの整合性を考慮しながら活用が必要。
- n-3系脂肪酸・n-6系脂肪酸の目安量は非妊娠時・非授乳時の女性(15〜49歳)の中央値から算定された。(2020年版では30〜49歳の中央値を参考としていた)
- ビタミンEの目安量は国民健康栄養調査から算定された妊婦の摂取量を参考とした数値から、非妊娠時・非授乳時の女性(15〜49歳)の中央値から算定された数値に変更となった。
4.実務への活かし方

栄養アセスメント
- 食事記録や摂取量調査を基準値と照合し、不足・過剰の傾向を定量的に把握。
- 誤差要因:食品成分表の改訂、分析法差、個人差(吸収・代謝・疾患影響)。
- 食事摂取基準のエネルギー収支バランスはBMIを用いられているため、エネルギーの評価にはBMIを指標とする。
- 食事摂取基準は生活習慣病やフレイルの危険因子を保持していても、自立した日常生活が可能な者とそのような者を中心とした集団を対象としている事を念頭に置いて栄養アセスメントに活用する。
栄養指導・献立設計
- 指標値を**「最適量」ではなく「目安値」**として活用。
- 個別性(年齢・性別・疾患・ライフスタイル)に合わせて調整。
- 特定の疾患及び疾患のリスクを有する者や集団に対する治療を目的とする場合は、食事摂取基準の考え方をベースとして疾患の治療を目的としたガイドライン等の数値を使用する。
ケース応用
- 中年男性(メタボ予備群):エネルギー制限+食物繊維増量。
- 高齢女性(骨粗鬆症リスク):カルシウム・ビタミンD強化。
- 高齢者(フレイル・サルコペニアリスク):充分なエネルギーとタンパク質の補給+カルシウム・ビタミンD強化。
- 若年女性(貧血リスク):鉄分・葉酸欠乏の予防やサプリメント利用時のリスク管理。
- 若年女性(やせ):エネルギーとタンパク質・カルシウム補給
- 妊婦:鉄・葉酸・タンパク質補給を重点管理。
- 乳児:鉄・ビタミンD・カルシウムの不足予防及びサプリメントの活用。
- 成長期:エネルギー・タンパク質の充足+鉄・カルシウム・ビタミンD強化。
外来栄養食事指導での活用ポイント
外来の場では、患者ごとに疾患・検査値・生活習慣が異なるため、食事摂取基準は**「評価の物差し」**として利用します。
1. 糖尿病・脂質異常症・高血圧患者
- エネルギー必要量:基準に基づき、活動量に応じて算定。
- 食物繊維目標量:糖尿病患者への食後血糖管理に直結。例:22g/日以上を目安に指導。
- ナトリウム(食塩相当量):目標量を患者教育に活用。
- 患者のそれぞれの栄養素の摂取状況を聞き取り等で把握し、基準値と比較して何が過剰で何が不足しているかを伝える。
- 食事摂取基準と患者の個人的なデータ、糖尿病・脂質異常症・高血圧治療のための資料に記載されている数値を全て参考にする。
- 血糖値と血中脂質、血圧はそれぞれ独立している訳ではなく影響し合っているため、全ての数値に注意を払い、改善を目指す。
2. 高齢患者(骨粗鬆症・サルコペニア予防)
- カルシウム・ビタミンD・タンパク質の3本柱を意識した献立提案。
- 基準値を根拠に「不足リスク」を説明することで納得感を高める。
- 食事内容や摂取状況を把握し、基準値と比較して栄養素がどの程度不足しているかを説明する。
- 高齢者は嚥下機能や口腔内の健康状態の影響が大きい。患者個人の口腔内の健康状態と嚥下機能を理解しておく事が重要。
- 高齢者は食欲不振の患者も多いため、食欲がない場合は主食よりも主菜や副菜を優先して食べるよう指導するとカルシウム・ビタミンD・食物繊維を摂取できる。
3. 妊婦・授乳婦
- 鉄・葉酸・タンパク質の必要量増加を、基準値と母子保健ガイドラインに基づき提示。
- 貧血予防や胎児発育に直結するため、基準を根拠資料として示すと効果的。
- 特に妊婦の葉酸の不足は乳児に脊髄、脳の先天性異常が生じるリスクが高くなるため、注意が必要。他の栄養素以上に摂取状況に気を配り、必ず欠乏を防ぐ。
- 個人の体重増加量や悪阻、妊娠時高血圧症の有無等を考慮して指導内容や目標設定を決める。
特定保健指導での活用ポイント

特定保健指導(動機付け支援・積極的支援)では、短期間で生活習慣の改善を支援するため、具体的な数値目標を示すことが有効です。
1. エネルギー収支の理解
- 活動レベル別の推定エネルギー必要量を基準に、1日の摂取量目安を提示。
- 患者の摂取エネルギーを把握し、摂取量目安との差を伝える。
- 身体活動レベルを根拠とした消費エネルギー量についても説明する。
- 「基準より+300kcal多い状態が続くと、1か月で約1kg増加する」といった形で具体化。
- 1日分の献立の例を示す等の方法でどの様な食事をすれば摂取量目安に近づくのかを教えると実行しやすくなる。
2. 食物繊維の数値目標化
- 「男性30〜49歳は22g/日が目標です。野菜350g+豆類・海藻・きのこで達成できます」と行動目標に落とし込む。
- 数字があることで、参加者が「自分の食事に不足がある」と気づきやすい。
- 食物繊維の働きについて、不溶性と水溶性に分けて具体的に説明すると理解度が深まる。
- 数値だけでなく食物繊維の摂取の仕方にも注意が必要。「野菜ジュース等は食物繊維が粉砕されており、糖質の量が多いため野菜の代わりにはならない」等。
- 野菜350gという数字に加え、「1食で小鉢2品か大皿1つ」の様にその量を摂取するには食事の際に何をどのくらい食べればいいのかまで伝える。
3. 減塩指導
- 食塩相当量の目標値(男性7.5g未満・女性6.5g未満)を根拠に活用。
- 高血圧のリスクが高い、すでに高血圧の域に達している場合は男女共に6.0gを目指す。
- 具体的に「しょうゆ小さじ1=約1g」など換算して説明。
- 塩分の多い食品について「カップ焼きそばはそれ1つで1日分の食塩を摂取してしまう」等具体的に説明する。
- ナトリウムとカリウムの関係について話し、カリウムの摂取も推奨するとより効果的。
4. フレイル予防の切り口
- 高齢受診者には「筋肉・骨を守る栄養素」としてタンパク質・カルシウム・ビタミンDを提示。
- 「フレイル予防は、転倒・寝たきり予防につながる」と生活機能の維持を動機づけに。
- タンパク質の摂取量は数値を示すと共に「主菜を1食当たり1品+乳製品」の様に1日に何をどのくらい食べればいいのかを伝える。
- 摂取を促すだけでなく、それぞれの栄養素の役割をきちんと説明すると自主的な行動に繋げやすくなる。
- 高齢者は摂取できる食事量が減っているため、無理に食べさせるのではなく負担にならない範囲で食事を摂ってもらう。
実務での工夫

- 報告書の引用:「厚労省の基準値」を資料に載せると説得力が増す。
- 食品ベースで具体化:「1日の目標22gの食物繊維=野菜350g+豆類100g程度」で示す。
- 行動目標に変換: “食塩を6gに”ではなく、“みそ汁を1日1杯まで”などに置き換える。
栄養指導時に使用する資料が厚生労働省の基準値を元に作成されていると、説得力が増すだけでなく指導される側の安心感にも繋がります。数値だけを提示するよりも、その数値が食品に換算するとどうなるのかを示すと実践しやすくなるのでおすすめです。数値のみを伝えられるとわかりにくいため、何をどのくらい食べる、または減らすか等の食品ベースで示すと具体的な行動に繋がります。数値を目標にすると行動が曖昧になる恐れがあります。その数値に近づくための行動目標を設定しましょう。数値を目標にする際は体重やBMI、血糖値、コレステロール値、血圧等の測定出来るものの目標として設定してください。
5.今後の課題

- 介入試験エビデンスの不足:観察研究依存が強い領域あり。
- 普及と実装:地方自治体や小規模施設での導入体制強化が課題。
- ICT活用:栄養計算ソフト・アプリへの迅速反映が求められる。
- 災害栄養対応:緊急時栄養基準との連動が今後の論点。
その他の策定上の課題としては食事摂取基準が参照する分野の研究論文数の増加に対し、研究者の数と質は論文の数と食事摂取基準に必要な能力に対応できていない事が挙げられます。更に、各指標策における生体指標の有効活用や、生活習慣病に関する目標値等の指標の策定についての検討も進める必要があるとされています。
食事摂取基準には活用時の課題もあり、食事摂取基準の使用に適した食事調査法の開発と、食事評価の教育と普及が不十分である事、食品成分表の成分値の変化等が挙げられます。献立作成や摂取量推定では食品成分表が使用されますが、測定法の変化により数値が変化しています。それにより生じた誤差に対応するために、旧来のものと最新のものを用いた場合の違いを検討する事が必要です。
まとめ
「食事摂取基準2025」は、“疾病予防”から“生活機能維持”へと視点が広がった改定となりました。これは高齢化と糖尿病をはじめとした生活習慣病有病者の増加が主な要因です。科学的根拠の整理によるエビデンスの強化もされています。骨粗鬆症が対象疾患に追加され、対象者としては妊婦・授乳婦・乳幼児が見直されています。管理栄養士は食事摂取基準を活用し、栄養管理・栄養指導の質の向上による人々の健康の維持・増進の役割を期待されています。栄養管理・栄養指導時は食事摂取基準のみを参考にするのではなく、他の媒体の情報も参考に栄養管理、栄養指導を行う事が大切です。食事摂取基準は健康な集団を想定しています。疾病を抱える患者を対象とする場合は各種診療ガイドラインを必ず参考にしましょう。「集団」を対象としているため、個人差についても注意しなければいけません。特定保健指導では、具体的な数値と行動にそれを落とし込む事の両方を伝える事が必要です。具体的な指示と相手がそれを実践できるかを考慮して指導を行う事が継続と改善に繋がります。
- 骨粗鬆症の追加、鉄UL削除、食物繊維・ビタミンD改定は必ず押さえるべきポイント。
- 基準値は“平均的な健康集団”を対象としたものであり、臨床・個別指導では必ず補正が必要。
- 管理栄養士・医療従事者は、この基準を読み解き、栄養アセスメントや指導、給食管理に応用することで、より実効性のある栄養支援を実現できます。
参考文献
厚生労働省「日本人の食事摂取基準(2025年版)の策定ポイント」
https://www.mhlw.go.jp/content/10904750/001396865.pdf
厚生労働省「日本人の食事摂取基準(2020年版)」
https://kennet.mhlw.go.jp/information/information/dictionary/food/ye-044
監修:N・Partner管理栄養士 澤岻薫子
大学の健康栄養学部を卒業後、病院で調理や栄養管理、栄養指導に従事する。介護老人保健施設や福祉施設で勤務を経験した後、現在はN・Partnerで経験を活かしながら特定保健指導やライティングを行なっている。